広大な草原は、
人の手が守り続けてきた

景観の循環

 まるで物語の世界のような、見渡す限りの阿蘇の草原。この独特な景色は、実は人の手によって、はるか昔から維持されてきました。
 草木が芽吹き始める春先、阿蘇の人々が野山へと集います。そして人々の手により放たれた火は、山の裾野から頂上へと向かい、やがて燃えつきます。その後には高温に強い植物の種子だけが残され、夏にかけて、緑の草原に……。野焼きをしなければ、育ち続けた草木は森へと変わり、草原に戻すことは容易ではなくなります。つまり、阿蘇の景観は、1年も絶やすことなく野焼きが続けられてきた証拠だと言えるのです。「輪地切り(わちぎり)」と呼ばれる防火帯を事前に掘り、風向きなどを計算して火を放つことで、的確かつ安全に野山を焼く技術は、地元で連綿と受け継がれてきました。

 では、なぜ毎年野焼きをしながら、草原が維持されてきたのか? 草原の草は、田畑を肥やす堆肥の素材、牛馬の餌、茅葺き屋根の素材など、昔の人々の生活を支える資源の宝庫でした。とりわけ、阿蘇では広大な草原が牛馬の放牧地である「牧野(ぼくや)」となっていたのです。野焼きを終え、青々とした色に変わった草原に牛馬を放ちます。そして秋が来て黄金色に変わった草は刈り取られ、冬には牛馬を人里へと戻す。そして春先に野焼きを……そんな風に、阿蘇の草原では自然と人々の営みが密接に関わり、常に循環し続けています。